クロゴキブリの正確な性フェロモン識別システム
~家屋害虫の交尾撹乱剤の開発に期待~
ポイント
- クロゴキブリの性フェロモンの主成分がペリプラノンDであることを神経生理学的に特定。
- 近縁種が使う性フェロモン成分が混ざると神経応答の減弱が起こる。
- 性フェロモン処理神経の活動を抑制する化合物を探し出すことで、交尾撹乱剤の開発に期待。
概要
北海道大学電子科学研究所の堂前 愛学術研究員、岩﨑正純学術研究員、西野浩史助教は、日本の代表的な家屋害虫であるクロゴキブリの性フェロモンが脳内でどう処理されるのかを明らかにしました。
クロゴキブリやワモンゴキブリに代表されるゴキブリ属のゴキブリは、そのほとんどが家屋害虫という悪名高いグループです。このグループではメスがペリプラノン(ヒトには無臭)という特殊な化学構造を持つ性フェロモンを放出し、オスがそこに誘引されることで、交尾が成立します。
本研究ではクロゴキブリの触角(嗅感覚器)に、性フェロモンを提示し、これに強く応答する神経を探索することで、性行動を介在する神経の生理学的・形態学的特定に成功しました。
その結果、嗅覚中枢を構成する210個の糸球体(1個1個が特定の匂いに応じる)のうち、最大の糸球体から出力する神経がペリプラノンDに対して強い興奮性応答を示すこと、近接する別の糸球体は近縁種の性フェロモンに応答することが分かりました。各神経において、最も強い応答をもたらすフェロモン以外の成分が少しでも混ざると応答の減弱が起こりました。そのため、クロゴキブリの性行動を司る神経系は単一のフェロモン成分を処理するために最適化されていることが分かりました。
なお、本研究成果は、2025年1月10日(金)公開のCell and Tissue Researchに掲載されました。

ゴキブリ属の用いる4種類の性フェロモン(ペリプラノン)とその行動学的作用。
背景
ゴキブリは世界に4,600種いますが、害虫として知られる種はその1%に過ぎません。ゴキブリ属(Periplaneta属)では例外的にほとんどの種が家屋害虫化しています。視覚を利用しづらい夜に活動するゴキブリにとってフェロモンは生殖前隔離、ひいては種分化にも重要な役割を果たしています。
ゴキブリ属ではメスがペリプラノンを放出し(上図上)、オスがそこに誘引され、メスへの求愛を経て、交尾が成立します(上図右下)。オスに強い求愛行動を引き起こす性フェロモンの量は1 ng(= 10-9 g)で十分です。化学構造の良く似た4種のペリプラノン(ペリプラノンA、B、C、D)のうち、クロゴキブリ(上図左下)の性フェロモンの主成分はペリプラノンDであることが、メスの匂いの組成分析や成分提示に対する行動試験から示唆されていましたが(Takahashi et al. 1995; Nishii et al. 1997)、脳内でどう処理されているのかについては知られていませんでした。
研究手法
匂いは触角内の嗅感覚細胞で受容され、その種類に応じ、脳内の一次嗅覚中枢(触角葉)内の異なる糸球体で処理されます(図1左)。クロゴキブリの触角葉には210個の糸球体があり、各糸球体からは原則1本の神経が出力し、行動解発にかかわる上位中枢へと情報を運びます(図1右)。生きているオスの成虫の出力神経の束にガラス管微小電極を刺入し、触角への1ngの性フェロモン提示に対して応答する単一の神経を丹念に選び出し、その活動電位を記録しました。刺激に対する活動電位の数が多くなるほど「強く活動した」とみなされます。記録した神経には蛍光色素を注入し、共焦点レーザー顕微鏡で、その形態を観察しました。
研究成果
クロゴキブリの最大の糸球体から出力する神経(図1右)はペリプラノンDのみに興奮性の応答を示しました(図2左)。2番目に大きな糸球体はペリプラノンAに、その近傍の小さな糸球体はペリプラノンBに応答しました。各神経はそれらが強く応答するフェロモン以外の成分が少しでも混入すると応答が大きく減弱しました(図2右)。つまり、フェロモン情報を運ぶいずれの神経も複数のフェロモン成分のブレンドの提示では応答が減弱するため、単一のフェロモン成分が性行動解発に重要な役割を果たすことが示唆されました。
以上、クロゴキブリの性フェロモンの主成分はペリプラノンDであることが、行動試験から30年を経て、神経学的見地からも実証されました。ペリプラノンA、Bはそれぞれ近縁のコワモンゴキブリ、ワモンゴキブリの性フェロモンの主成分であることから、神経レベルで相互抑制をかけあうことで、特定のフェロモン成分の検出を容易にし、近縁種との交雑を防いでいる可能性があります。
今後への期待
ゴキブリ属では匂いの混ざりやすい閉鎖空間に複数の種が同居することが知られ(Bell et al. 2007)、正確なフェロモン識別は種の維持に重要です。クロゴキブリはペリプラノンDを正確に識別する神経基盤を持つため、類似の構造を持つ誘引剤の開発は製造コスト面からも容易ではありません。逆に、ペリプラノンDを処理する神経に強力な抑制を引き起こす化合物が見つかれば、交尾撹乱剤の開発につながる可能性があります。
4種のペリプラノン合成は、日本が誇る有機化学合成の金字塔で(Kuwahara and Mori 1990; Kuwahara et al. 2000; Nishii et al. 1997)、家屋性ゴキブリの性行動の解明に大いに役立ちました。残念なことに、今やペリプラノンは日本にほとんど残されていません。防除の観点からはフェロモン情報処理のしくみを神経レベルで理解することが重要で、日本がこの分野を再び牽引するためにも合成化学者の協力を必要としています。
謝辞
本研究は科学研究費補助金(基盤研究C: JP23K05842)の助成を受けて行われました。また、希少なペリプラノンA、C、Dを分与して頂いた京都大学農学部の佐久間正幸名誉教授、純度チェックを行って下さいました京都大学農学部の田中真史博士に深く感謝いたします。
論文情報
論文名
Neurological confirmation of periplanone-D exploitation as a primary sex pheromone and counteractions of other components in the smoky brown cockroach Periplaneta fuliginosa(クロゴキブリにおける性フェロモン主成分の神経生理学的特定と副成分の拮抗作用)
著者名
堂前 愛1、岩﨑正純1、西野浩史1(1北海道大学電子科学研究所)
雑誌名
Cell and Tissue Research(細胞生物学の専門誌)
DOI
公表日
2025年1月10日(金)(オンライン公開)
お問い合わせ先
北海道大学電子科学研究所 助教 西野浩史(にしのひろし)
TEL 011-706-2596
メール nishino[at]es.hokudai.ac.jp
URL https://www.es.hokudai.ac.jp/labo/nishino/index.html
配信元
北海道大学社会共創部広報課(〒060-0808 札幌市北区北8条西5丁目)
TEL 011-706-2610
FAX 011-706-2092
メール jp-press[at]general.hokudai.ac.jp
参考図

図1.クロゴキブリの一次嗅覚中枢(左)。各々の糸球体は特定の匂いにチューニングする。大きい糸球体ほど、出力する神経も大きくなり、行動に与える影響が大きくなる。最大の糸球体から出力する神経(右)はペリプラノンDに応じる。

図2.性フェロモンの主成分(ペリプラノンD)に別の成分(ペリプラノンB)が混ざると応答の抑制が起こる。









