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研究内容

回転分子モーターF1-ATPase の化学 —力学エネルギー変換におけるATP加水分解反応の役割解明!

掲載日:
データ数理研究分野

附属社会創造数学研究センターのChun-Biu Li准教授と小松崎民樹教授は,東京大学の野地博行教授らと共同で,モータータンパク質F1-ATPaseの酵素反応サイクル内でアデノシン三リン酸(ATP)の加水分解反応過程が直後におこる反応の「ロック解除」を行う「鍵」としての役割を果たし、効率よく化学エネルギーを回転の力学エネルギーに変換するうえで反応順序を制御していることを明らかにしました。

(背景)

近年、社会科学から自然科学に到る様々な分野でビックデータから如何にして背後の知識を読み解くのかということが問われています。F1−ATPase(以下F1と略します)はATP加水分解に駆動されて回転する分子モーターであり,分子構造変化と複数の中間反応を巧妙に組み合わせることで,効率よく化学エネルギーを回転の力学エネルギーに変換することができる分子機械として知られています。その際にATP結合,アデノシン二リン酸(ADP)解離,F1に結合したATP(以下、結合ATPと略します)の加水分解,無機リン酸(Pi)解離といった主要な酵素反応過程が回転運動とどのようにして密に結びついているのかを理解するために,今日に至るまで多岐にわたって研究が進められてきました。なかでも,結合ATPの加水分解については,反応生成物の結合解離過程と比べて回転に必要なトルク発生への寄与が少なく、放出エネルギーも全体から見て僅かであることがわかっていました。したがって、結合ATPの加水分解がF1の反応サイクルのなかでどのような役割を果たしているのかについては,よくわかっていませんでした。

近年の先端計測技術の進歩により、ɤサブユニットと呼ばれる部位が回転と停止を繰りかえすデータが10−6秒といった高精度で得られるようになりました。しかしながら、一般にナノスケールでの観測データは信号の強さに対するノイズの比率が(私たちが日々経験しているマクロスケールの観測に比べて)極めて大きく、ノイズを信号として評価してしまい、間違った解釈に至る危険性があります。一方でタンパク質を分解・解体すれば、各パーツの詳細は分かりますが、どのような動作原理で化学エネルギーを回転の力学エネルギーに効率よく変換しているのかが評価しづらくなります。そのため、10−9mといったナノスケールで生じる分子の機械の仕組みを理解するためには、タンパク質を分解・解体することなく、ノイズを正しく評価しつつデータそのものから背後の仕組みを読み解く方法論を確立することが極めて重要となります。

(研究手法)

本研究では、恣意性をできるだけ挟まない形で、F1の回転時系列データから回転停止時間とその間の回転角度揺らぎの統計を解析するため、ノイズの性質をできるだけ仮定しない変化点解析*1とファジークラスタリング*2を組み合わせた手法を開発しました。その手法とマイクロ秒時間分解能でのF1一分子の回転観察を組み合わせて、結合ATPの加水分解反応およびPi解離待ちに相当する階段状の回転時系列データの回転停止プロセスの詳細なキネティックスに着目し、その加水分解反応が果たす役割を詳細に調べました。

(研究成果)

開発した変化点解析の手法により、結合ATPの加水分解反応に伴って回転停止プロセスのあいだに、僅かに回転角度が反時計回りに20度ほど有意に変化していることが分かりました。この小さな角度変化は(回転角度の分布関数をガウス関数でフィットする)従来の手法では検出不可能でした。また、ɤサブユニットが近似的に停止している(実際には20度回転している)間の反応順序に関して、Pi解離反応は結合ATPの加水分解反応の後に生じ、(加水分解反応の逆反応に対応する)ATP合成反応が生じる確率は低いことなどがわかりました。

また、ATP加水分解反応に伴って回転角度が20度変化することの物理的解釈として、結合ATP加水分解およびリン酸解離と回転角度の関係を表したエネルギー図を評価することで、結合ATP加水分解反応は、トルクやエネルギー発生量が少ないにもかかわらず、回転角度が20度ほど変化させることで、リン酸解離反応の反応障壁を大きく減少させていること、すなわち、リン酸解離反応にかけられていた「ロック」を「解除」して(ATP加水分解→リン酸解離といった)正しい反応順序を維持するための「鍵」としての役割を担っていることが明らかになりました。

(今後への期待)

F1-ATPase は、化学エネルギーが供給されれば、ɤサブユニットが回転し(例:自動車やモーター)、逆にそれを外部から逆回転させれば、アデノシン二リン酸(ADP)と水分子を使ってATPを合成する(例:発動機)「可逆的に働くことができる」分子機械です。その化学エネルギーと力学エネルギーの変換効率は100%に近いと評価されており、その分子メカニズムの全容が明らかになれば、環境に優しい高効率なエネルギー変換能をもったナノデバイスの開発にも繋がるものと期待されています。

本成果は、F1の動作原理の全容理解に向けた重要なステップであり、今後、他の分子機械であるV-ATPase,キネシン,ミオシン,ダイニンなどのデータ解析に、本研究で開発された手法を適用することで、鍵-ロック解除メカニズムが高効率なエネルギー変換を実現するうえで普遍的に存在している可能性が検証されることが期待されています。

 

本研究成果の一部は、科学研究費基盤研究(B)(一般)、新学術領域「少数性生物学」、ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム、北海道大学,東北大学,東京工業大学,大阪大学,九州大学の5附置研究所のネットワーク型による文部科学省「ナノマクロ物質・デバイス・システム創製アライアンス」、「物質・デバイス領域共同研究拠点」などのサポートを受けて実施したものです。本成果は、科学誌「Nature Communications」に、2015年12月17日に公開されました。

研究論文名: ATP Hydrolysis Assists Phosphate Release and Promotes Reaction Ordering in F1-ATPase”(F1-ATPaseにおいてATP加水分解反応はリン酸解離を助長し、反応順序を制御する)
著者: Chun Biu Li1, 上野博史2、渡邉力也2、野地博行2,小松崎民樹1 (1北海道大学電子科学研究所, 2東京大学工学研究科応用化学専攻)
公表雑誌: Nature Communications 6:10223 (2015) │ DOI: 10.1038/ncomms10223
公表日: 米国東部時間 2015年12月17日(木) (オンライン公開)
2015-12-18-mlns-01

図: (a) FoF1-ATPaseはab2cnサブユニットから成るFoとα3β3γδεサブユニットから成るF1の2つのモーターが組合わさっている。単離したF1はATP加水分解に駆動され回転し,その際効率よく化学エネルギーを回転運動エネルギーに変換することができる。(b) F1酵素反応サイクルの化学-力学共役スキームを,γサブユニットの回転角度との対応とともに表している。色付きの円ではヌクレオチド状態を表している。囲いの中に今回の研究で得られた主な結果が示されており、ATP加水分解を引き金にγサブユニットが僅かに回転することで,引き続きおこるPi解離反応が促進される。

[用語解説]

*1 変化点解析:
時系列に沿ってデータの性質が前後で急激に変化する点(=変化点)を抽出する解析手法。ある時点を境に前と後で、異なる確率過程とみなすときの尤度(尤もらしさの度合い)と前後とも同じ確率過程とみなすときの尤度を比較することで、変化の優位性を検定します。また、変化点解析には必然的に偽陽性、偽陰性な判定が存在し、前者は変化点が実際には存在しないが間違って存在すると判定する、後者は変化点が実際には存在するに間違って「無」と判定する状況を指します。そのため、確率過程の関数をできるだけ前提としないで、かつ偽陽性の割合を評価し偽陰性な判定を抑える簡便な方法が望まれていました。

*2 ファジークラスタリング:
クラスタリングとは要素の集合をある共通した特徴を持つ部分集合(クラスター)に分類することを指します。例としてリンゴを題材に説明します。重さ、大きさ、色合いなどが異なるリンゴ(要素)の集合を分類する場合、各部分集合に帰属されたリンゴの集合は、これらの特徴が共通しており、ある定められた距離尺度(重さなど)に対して相対的に近いリンゴから構成されます。ファジークラスタリングとは、あるリンゴを2つ以上のクラスターに異なる重みで分類することに対応します。例えば、各リンゴの特徴を表す量に誤差が含まれている場合には、誤差が存在するために、あるリンゴを一義的にひとつのクラスターに帰属するより、複数のクラスターに重みづけして分類するほうが自然である場合があります。

変化点解析において、同定された変化点間のインターバルのデータを要素として、ある変化点の前後のインターバルが同じクラスターに主に帰属される場合、その変化点は偽陽性な同定であったと判断し取り除くことができることになります。

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