ポイント
- 哺乳類の30分〜4時間周期の体内時計であるウルトラディアンリズムを生み出す脳領域を特定。
- リズムの生成には,脳の視床下部における神経細胞ネットワークの同期活動が重要。
- 睡眠サイクルや体温変動,ホルモン分泌などのリズムを生み出すメカニズムの解明に貢献。
概要
北海道大学電子科学研究所の榎木亮介准教授らの研究グループは,哺乳類の脳の神経活動を高精細に連続撮影することで,30分から4時間程度の短周期の体内時計であるウルトラディアンリズム*1を生み出す脳領域が視床下部の室傍核と傍室傍核領域*2に存在すること,ウルトラディアンリズムの発生には神経細胞ネットワークの同期活動が重要であることを発見しました。
体内時計には,ウルトラディアンリズムの他に約24時間周期の概日リズム*3があり,概日リズムについてはリズムを生み出す分子や神経活動のメカニズムの解明が進んでいます(2017年のノーベル生理学・医学賞は,概日リズムを生み出す遺伝子機構を解明した研究者が受賞)。一方で,生体内で多く観察される睡眠サイクルやホルモン分泌等のウルトラディアンリズムについては,リズムの発生源となる脳部位や,その神経細胞の働きはほとんどわかっていませんでした。
これまで本研究グループは,独自に開発した神経活動の長時間の計測法により,細胞内カルシウムの変化を指標として,視床下部にある概日リズム中枢の神経細胞の働きを調べてきました。今回研究グループは,概日リズム中枢のすぐ近くにある室傍核と傍室傍核領域で,細胞内カルシウムのウルトラディアンリズムを発見しました。さらにこの領域の神経細胞ネットワークの同期活動が,ウルトラディアンリズムの生成に重要であることを解明しました。
室傍核と傍室傍核領域は,様々なホルモンを産生する神経細胞が局在しており,さらに他の脳領域にリズム情報を伝達して,体温や睡眠サイクルを調節すると推察されています。このことから,本研究で見いだしたウルトラディアンリズムは,生体内の様々な生理機能のリズムを制御していると考えられます。
近年の研究により,極端な夜型生活,慢性的な睡眠不足,交代勤務などによる生物リズムの乱れが生活習慣病の誘因となることがわかってきており,生物リズムの基礎的研究はますます重要性が増しています。特に本研究で得られた新たなウルトラディアンリズム知見は,これまでの概日リズムの知見と統合することで,生体リズムや睡眠障害の新たな治療法や予防法の開発に道を拓き,健康増進に寄与すると期待されます。
なお本研究成果は,米国東部時間2018年9月18日(火)の週公開の米国科学アカデミー紀要のオンライン速報版で公開されました。
【背景】
哺乳類の約24時間の概日リズムの中枢は,深部の視床下部にある視交叉上核*4に存在し,網膜を介して光情報を受けて固有の周期を24時間に調節し,全身の細胞や臓器に統一のとれたリズム情報を伝達しています(図1)。近年の研究により,概日リズムを生み出す分子や細胞レベルでのメカニズムが次第に明らかとなってきました。特に昨年のノーベル生理・医学賞は,概日リズムの分子メカニズムを解明した研究者に贈られました。概日リズムが乱れることは,高血糖,高脂血症,高血圧などのリスクファクターとなり,様々な体と心の変調を引き起こして,生活習慣病やうつ病の発症率を上げることが知られています。
一方で,哺乳類の生体内では,レム-ノンレム睡眠サイクルやホルモン分泌など,様々な生理機能に数十分~数時間の短い周期のウルトラディアンリズムが観察されます。視交叉上核を切除した動物では,行動や食事リズムなどにウルトラディアンリズムのみが観察されることから,概日リズム中枢とは別の領域にウルトラディアンリズムを生み出す領域があると推察されていました。しかし,これまでウルトラディアンリズムを長期的・高精細に計測するよい方法がなく,ウルトラディアンリズムを生成する脳の領域がどこにあるのかは長く不明でした。
【研究手法と成果】
本研究グループはこれまでに,概日リズム観察のための長期間の光イメージング計測法を確立し,視交叉上核の神経細胞ネットワークの働きを観察してきました。今回の研究では,視交叉上核とその周辺領域を含む組織を長期間培養し,緑色蛍光タンパク質からなるカルシウムイオンセンサーを多数の神経細胞に発現させ,高感度カメラ,恒温培養装置,顕微鏡からなる光計測システムを用いて,概日リズム中枢を含む複数の脳領域の神経細胞から,細胞内カルシウム濃度変化を指標に神経細胞の活動を数日間測定することを試みました(図2)。
その結果,視交叉上核の主な神経投射先である室傍核と傍室傍核領域の多数の神経細胞において,30分〜4時間周期で同期する細胞内カルシウムのウルトラディアンリズムを見いだしました(図3)。このリズムは室傍核と傍室傍核領域のみを単離した組織でも観察されることから,この部位がウルトラディアンリズムの発生源であることがわかりました。さらに,神経細胞ネットワークのミリ秒スケールの早い神経細胞の同期活動がウルトラディアンリズムを生み出すことや,興奮性と抑制性の神経伝達物質のバランスによりウルトラディアンリズムが制御されていることがわかりました。
室傍核と傍室傍核領域には,様々なホルモンを産生する神経細胞が存在していることが知られています。さらにこの脳部位は他の脳領域へと投射して,体温や睡眠サイクルを調節する中枢領域へと情報を伝えていると推察されています。このことから,本研究で見いだしたウルトラディアンリズムは,生体の様々な生理機能のリズムを制御していると考えられます。
【今後への期待】
本研究の成果は,脳の時計が体のリズムを整える生物リズムの基本メカニズムの解明につながることが期待されます。生物時計の破綻は体と心に様々な変調を引き起こすため,非生物学的な環境に24時間晒される現代社会において,そのメカニズムの解明は最優先で取り組む課題の一つです。これまで蓄積してきた概日リズムの知見と,本研究で得られたウルトラディアンリズムの新たな知見を統合してリズム障害の治療法や予防法を考えていくことで,健康の増進に寄与できると期待されます。
なお本研究は,北海道大学大学院医学研究科医学専攻時間医学講座(寄附講座,当時)で行われたものであり,北海道大学の本間研一名誉教授,本間さと客員教授,長崎大学の織田善晃助教,復旦大学(中国上海)の吴瑜珥 博士課程学生,黄志力教授との共同研究の成果です。また科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ,文部科学省先端融合領域イノベーション創出拠点形成プログラム補助金,科学研究費補助金などの支援のもとで行われました。
論文情報
論文名 | Ultradian Calcium Rhythms in the Paraventricular Nucleus and Subparaventricular Zone in the Hypothalamus(視床下部の室傍核及び傍室傍核領域におけるウルトラディアンカルシウムリズム) |
著者名 | 吴 瑜珥1,榎木亮介2,3 ,織田善晃4,黄 志力1,本間研一3,本間さと3(1復旦大学基礎医学院,2北海道大学電子科学研究所,3北海道大学大学院医学研究院,4長崎大学歯学部) |
雑誌名 | Proceedings of the National Academy of Sciences(米国科学アカデミー紀要) |
公表日 | 米国東部時間2018年9月18日(火)の週(オンライン公開) |
お問い合わせ先
北海道大学電子科学研究所 光細胞生理研究分野 准教授 榎木亮介(えのきりょうすけ)
TEL 011-706-9367
FAX 011-706-9363
メール enoki@es.hokudai.ac.jp
URL https://www.enokiryosuke.com
配信元
北海道大学総務企画部広報課(〒060-0808 札幌市北区北8条西5丁目)
TEL 011-706-2610
FAX 011-706-2092
メール kouhou@jimu.hokudai.ac.jp
【参考図】
【用語解説】
*1 ウルトラディアンリズム(超短周期リズム) … 24時間より短い体内のリズムで,今回の研究では30分~4時間程度のリズムを指す。生体内では体温変動やホルモン分泌,食事や飲水,睡眠サイクルなど,様々な生理現象でウルトラディアンリズムが観察される。
*2 室傍核,傍室傍核領域 … 脳の一領域。様々なオキシトシンや副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモンなどの神経ホルモンを産生する神経細胞が存在し,他の脳領域へと投射して,体温や睡眠サイクルを調節する中枢領域に情報を伝えていると推察されている。
*3 概日リズム … 約24時間周期で変動する生理現象で,地球上のあらゆる生命体に存在する。一般的に体内時計,生物時計ともいう。
*4 視交叉上核 … 哺乳類の概日リズムの中枢としての役割を担う脳の視床下部にある領域。