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研究内容

コオロギはヒトと似た構造の耳をもつ — 自然が生み出した最小・高感度・広帯域の聴覚器 —

掲載日:
人間数理研究分野

ポイント

  • コオロギの聴覚器の中に,ヒトの耳小骨に似た構造(上皮コア)を発見。
  • 上皮コアは,体内に入り込んだ上皮細胞が自己組織化的に(自らを積み上げていくように)形成。
  • 上皮コアは音の高低の識別に寄与する可能性が高く,生物の機能を模したマイクロセンサー開発に期待。

概要

北海道大学電子科学研究所の西野浩史助教・堂前 愛研究員,同大学院情報科学研究科の岡嶋孝治 教授,森林総合研究所の高梨琢磨主任研究員は,コオロギの前肢にある聴覚器と周囲の組織の三次元構造を高精細で明らかにするとともに,鼓膜の振動を液体の流れに変換しうる,ヒトの耳小骨に似た 構造(上皮コア)を初めて発見しました。

ヒトと同じ陸上に生きる昆虫の中には,種間コミュニケーションのために聴覚を発達させたものがいます。その代表格であるコオロギの耳は,鼓膜を持つ耳としては動物界最小サイズ(200μm*1)にもかかわらず,ヒトよりも広い周波数の音を聞き分けられる高感度・広帯域の聴覚器です。

ヒトと昆虫の進化的起源は大きく異なりますが,今回の研究で,1 枚の鼓膜に入射した音を液体の流れに置き換える構造をもつ点で,両者の耳はよく似ていることが解明されました。

なお,本研究成果は,2019年3月4日(月)公開の Cell and Tissue Research に掲載されました。 また,本研究は 2012~2016 年度科学研究費助成事業新学術領域研究「生物多様性を規範とする革新的材料技術」(領域代表:下村政嗣)の公募研究「昆虫の聴覚器規範設計の解明」による支援を受けて行われました。

コオロギの聴覚器の位置
今回解明した聴覚器の構造

【背景】

コオロギは秋に鳴く虫の代表格で,オスがはねをこすり合わせて音を出し,同種のメスを呼び寄せます。種によって利用する音の高さ(周波数)が異なるため,どの種の音か聞き分けることが種の存続に不可欠です。また,捕食者であるコウモリから逃れるためにも聴覚は重要であり,コオロギは低い音(数百 Hz)からコウモリの出す超音波(40 kHz)に至るまで,広い周波数帯の音を聴き分けることができます。

ヒトの耳の周波数識別の基盤は,鼓膜の機械的振動を液体の1方向の流れに変換する過程です。音はまず鼓膜に伝わり,そこから徐々に接触面の小さくなる3つの耳小骨に伝わる過程で「てこの原理」による音圧増幅を受け,最終的に蝸牛(かぎゅう)と呼ばれる渦巻き状の管を満たすリンパ液の流れに変換されます。感覚細胞(有毛細胞)は,管の長軸方向に伸びる基底膜に沿って整然と並んでいます。低周波の音ほどエネルギーが減衰しにくい性質を持つため,リンパ液は基底膜のより奥を振動させます。これにより,低い音は耳小骨から遠い感覚細胞で,高い音は耳小骨の近くの感覚細胞で処理されます(図1左)

図1ヒトの聴覚器(左。蝸牛は引き延ばした状態)とコオロギの聴覚器(右)の原理的共通性。鼓膜の振動はヒトでは耳小骨,コオロギでは上皮コアにより液体の流れに変換される。

日本の草地にいるフタホシコオロギやエンマコオロギの前肢の脛節(けいせつ)基部には,前後 2 枚の鼓膜から なる聴覚器(鼓膜器官)があります。後鼓膜は大きくて薄く,音はこの鼓膜を震わせます(図 2 左)。一方,前鼓膜は小さい上に厚く,音響学的な鼓膜としては機能しません(図 2 右)。ヒトの耳と同様,鼓膜と感覚細胞の間に直接のリンクはなく,50 個の感覚細胞は鼓膜を裏打ちする気管(呼吸のために 空気で満たされた管)の上に整然と並んでいます(図 3)。単一の感覚細胞の応答記録により,脛節の 末梢側の細胞になるほど高周波の音に応じることは知られていましたが,これらの細胞がどう刺激 されることで特定の周波数に応じるのかは不明でした。

図2コオロギ前肢にある2枚の鼓膜
図3気管の上に整然と並ぶ感覚細胞

【研究手法】

聴覚器の感覚細胞に蛍光色素を注入して染色したのち,周囲の表皮(クチクラ)の表面部分をそぎ 落とすことで半透明の内皮構造のみを残し,脛節全体を別の蛍光色素に浸すことで対比染色を施しました。これにより,聴覚器と周囲の構造全てを共焦点レーザー顕微鏡で精査することが可能となりました。

【研究成果】

まず,研究グループは立体構築した聴覚器の中で,感覚細胞と周囲の組織との結びつきに注目しま した。気管の上に並ぶ感覚細胞の樹状突起(機械的ひずみを感じるセンサー部位)の先端は,テントのような細胞の塊に付着します(図 3)。感覚細胞群全体はリンパ液に浸されており,テント構造に沿って気管に付着する薄膜(厚さ:0.5μm)によって周囲の組織と隔てられていました(図 4 左)。また, 前鼓膜直下に半透明の固い貝殻状の構造(上皮コア)を発見しました。このコアは腹側で気管の縁に 強く付着する一方で,背側ではリンパ液を包む膜の末梢域に付着していました(図 4 左)。

聴覚器の横断切片をみると,コアはレバー(てこ)の形状をしていました(図 4 左)。後鼓膜に音が入射するとコアの気管との接点が前側に押されます。すると,前鼓膜内膜が支点となってコアの先端がリンパ液を押し返すことで,脛節基部へ向かって斜め方向のリンパ液の流れが生じると想像されます(図 4 右)。感覚細胞群はこの流れに沿うように斜めに並び,個々の感覚細胞の樹状突起は刺激され やすいよう流れに対してほぼ直交していました(図1右)。これらの特徴は,末梢の細胞は高い音, 脛節基部側の細胞は低い音に応答することと合致します。

図4聴覚器の内部構造

次にコアの発生について調べました。音声コミュニケーションを行わない幼虫にはコアが存在しま せんが,成虫脱皮後,すぐに上皮細胞が体内へ入り込んでコアの形成が始まります。上皮細胞は気管 への定着とキチン質*2 の分泌を繰り返しながら自己組織化的に肥大し,6 日で完成します(図 5)。 このことは成虫になってから必要となる音声コミュニケーション(オスの呼び鳴き: 5kHz; 求愛歌: 16kHz)の識別にコアが必要であることを示唆しています。

図5上皮コアの発達。成虫脱皮直後から上皮細胞が体内に入り込んで気管への定着が起こり,キチン質の分泌を繰り返しながら扇状に成長する。

このように,ヒトと昆虫の進化的起源は大きく異なるにもかかわらず,いずれも 1 枚の鼓膜に入射 した音を液体の流れに置き換える構造をもつ点で原理的によく似ていることがわかりました(図1)。動物種を問わず,音の周波数の細かい識別のためには振動を液体の流れに変換する過程が必要なのかもしれません。コオロギは前肢で地面に浅い穴を掘って隠れ家にするので,感覚細胞に近い側の鼓膜を 厚くすることで,外部からの衝撃に強い聴覚器を進化させてきたのかもしれません。

【今後への期待】

コオロギは入手しやすい上,聴覚器を調べることも容易です。中学・高校の実習の教材や細胞の自己組織化のよいモデルとなることでしょう。コオロギの鼓膜器官は,自然が生み出した最小・高感度・ 広帯域の聴覚器であり,今後コアの具体的な機能について調べることで,生物模倣分野における マイクロセンサーの開発に寄与できる可能性があります。

論文情報

論文名 Cricket tympanal organ revisited: morphology, development, and possible functions of the adult-specific chitin core beneath the anterior tympanal membrane.(コオロギの鼓膜 器官:上皮コアの形態,発生,想定される機能)
著者名 西野浩史 1,堂前 愛 1, 高梨琢磨 2, 岡嶋孝治31 北海道大学電子科学研究所,2 森林総合研究所,3北海道大学大学院情報科学研究科)
雑誌名 Cell and Tissue Research(細胞生物学の専門誌)
DOI 10.1007/s00441-019-03000-2
公表日 2019 年 3 月 4 日(月)(オンライン公開)

お問い合わせ先

北海道大学電子科学研究所 助教 西野浩史(にしのひろし)
TEL 011-706-2596
メール nishino(at)es.hokudai.ac.jp
URL https://www.es.hokudai.ac.jp/labo/nishino/

配信元

北海道大学総務企画部広報課(〒060-0808 札幌市北区北8条西5丁目)
TEL 011-706-2610
FAX 011-706-2092
メール kouhou(at)jimu.hokudai.ac.jp

【用語解説】

*1 μm … マイクロメートル。1μmは0.000001(10-6)mで,1mmの1000分の1の長さ。

*2 キチン質 … 昆虫や甲殻類の外骨格や堅い皮膚を作っている物質の般的呼称。

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