ポイント
- ローブの動力学に注目して、短いカオス軌道をいくつも連結する軌道設計が可能なことを発見。
- 地球-月円制限三体問題において、従来の結果を上回る高効率かつ頑健な軌道を構成。
- 月周回有人拠点への貨物輸送や惑星探査機の軌道設計への応用に期待。
概要
北海道大学電子科学研究所の佐藤 讓准教授と九州大学大学院工学研究院航空宇宙工学部門の坂東麻衣教授、同大学工学府航空宇宙工学専攻博士後期課程 3 年の平岩尚樹氏、リオデジャネイロ連邦大学数学研究所のイザイア ニゾリ博士の研究グループは、短いカオス軌道をいくつも連結して地球から月へ向かう探査機の軌道を設計することに成功しました。
研究グループは力学系におけるローブの動力学に注目し、いくつかのローブ系列の間をジャンプして目的地へ到達する制御法を考案しました。最適化の結果、地球-月円制限三体問題のモデルであるヒル方程式系で地球周回軌道から月周回軌道へ向かう探査機に対して、従来の結果を上回る高効率かつ頑健な軌道を設計できました。本研究成果は、月周回有人拠点への貨物運搬や惑星探査機の軌道設計への応用が期待されます。
なお、本研究成果は 2024 年 5 月 24 日(金)公開の Physical Review Research 誌に掲載されました。
【背景】
例えば、地球と月といった二つの惑星がお互いの万有引力の影響を受けて相互作用するとき、その二体は円または楕円軌道に沿った周期運動をします。これは二体問題とよばれる力学的に解くことができる問題です。一方、三つの惑星が相互作用する運動、例えば地球、月、太陽の相互作用により生じる運動は非常に複雑な軌道を持つことがあります。これは三体問題*1とよばれる古典力学の未解決問題です。
もう少し簡単な問題を考えましょう。三つの惑星のうち一つが非常に小さな小惑星で、その重力の影響が他の二つの惑星に対して無視できる場合、この二つの惑星の軌道を二体問題の解として求めることができます。このような状況では、周期運動する大きな二つの惑星の重力の影響を受ける小惑星の軌道だけ考えればよいことになります。この問題は制限三体問題とよばれています。さらにこの大きな二つの惑星の軌道が完全な円であると仮定すると、この問題は円軌道を周回する二惑星から重力の影響を受ける小惑星の軌道の問題となります。この問題は円制限三体問題とよばれ、地球、月、宇宙機の相互作用により生じる運動がその例になります。さて、ここまで問題を簡単化すれば、地球-月系の探査機の軌道を求めることができるでしょうか?
実は、この円制限三体問題も解くことができない、という結果が 1889 年のアンリ・ポアンカレの証明*2により知られています。探査機の初期位置や初速度によってはカオス*3とよばれる不規則運動が生じてしまうことがその原因です。ポアンカレの結果は後の力学系理論の発展とカオスの発見の先駆けとなりました。カオス的な運動の軌道は完全に解くことができない上に、探査機の初期位置や初速度のごくわずかな誤差が、長時間後の軌道の大きな解離を引き起こす、という初期値鋭敏性を持っています。誤差は現実的には必ず生じるので、結果として宇宙機の軌道は予測不可能になってしまいます。特に有人ロケットではこの性質は重大な問題です。では我々はどうやって地球から月へ向かう宇宙機の軌道を設計すればよいのでしょうか?
円制限三体問題の解にはカオス軌道に加えて単純な周期軌道も含まれています。手に負えないカオス軌道は避け、扱いやすい周期軌道を選んで軌道設計に用いればよいのです。三体問題の周期軌道としては例えばハロー軌道など、様々な周期解が理論的に発見されており、これまでの宇宙探査では、主にこういった周期軌道を使った軌道設計がなされてきました。しかし、カオス軌道は探査機の軌道設計に全く役に立たないのでしょうか?不規則軌道を有効に活用することによって、燃料を節約したり、目的地に早くたどり着くような軌道を設計することはできないのでしょうか?研究グループは力学系理論の立場からこの問題に取り組みました。
【研究手法及び研究成果】
地球-月円制限三体問題のモデルであるヒル方程式*4における地球周回軌道から月周回軌道への旅程を問題にします。まず、この系においてカオス軌道が集積している領域(カオスの海)の周期軌道を一つ選び、この周期軌道に常に近づいていく状態の集合(安定多様体)と、常に離れていく状態の集合(不安定多様体)を、二体が最も近づく状態(近点)の切断面上で計算します。この切断面上で安定多様体と不安定多様体に囲まれる領域はローブ*5とよばれます。ある近点に到達してからから次の近点に到達するまでに、あるローブは別のローブに遷移し、カオス的な動力学により変形を受けて複雑に変形していきます(図 1 左)。しかしローブに囲まれている軌道はローブの外に出ることはありません。このようなローブの系列は出発地点の地球周回軌道と目的地点の月周回軌道の間にあるカオスの海に無数に存在します。そこで、いくつかのローブ系列を選んで、あるローブが大幅に変形する前に次のローブへとジャンプさせていく制御を考えます(図 2 右)。地球周回軌道から出発した探査機は、選ばれたローブ系列を順に渡り歩くことによって目的地の月周回軌道に到達することができます。このジャンプで生じる誤差もカオスによって増幅されますが、それがローブ内におさまっていれば次のジャンプの制御に支障をきたすことはありません。つまり設計された軌道は不安定であるにもかかわらず頑健です。
このような方法で設計された軌道は、地球周回軌道を出発してすぐにカオスの海に突入し、短いカオス軌道がいくつも連結した旅程を経て、最終的に月周回軌道に到達します(図 2)。可能なローブ系列の組み合わせを最適化した結果、ヒル方程式系においてこれまでに知られている旅程よりも少ない燃料で、しかもより短い時間で目的地に到達できる軌道を構成することに成功しました。ローブの動力学を使って、カオス軌道を探査機の軌道設計に役立たせることができたのです。
【今後への期待】
本研究で提案された解析法と制御法は、様々な力学系における高効率な軌道設計に対する一般的かつ有力な方法です。特に月周回有人拠点への貨物輸送や、惑星探査機の軌道設計などへの応用が期待できます。
【謝辞】
本研究は JSPS 科研費 JP21H01002、JP22H03663、JP21K18781、JP23KJ1692、JST 創発的研究支援事業 JPMJFR206M などの支援を受けて実施されました。
論文情報
- 論文名
- Designing robust trajectories by lobe dynamics in low-dimensional Hamiltonian systems(ローブ動力学を用いた低次元ハミルトン系の頑健な軌道設計)
- 著者名
- 平岩尚樹1、坂東麻衣2、Isaia Nisoli3、佐藤 讓4(1九州大学大学院工学府航空宇宙工学専攻、 2九州大学大学院大学院工学研究院航空宇宙工学部門、3リオデジャネイロ連邦大学数学研究所、4北海道大学電子科学研究所)
- 雑誌名
- Physical Review Research(物理学の専門誌)
- DOI
- 10.1103/PhysRevResearch.6.L022046
- 公表日
- 2024年5月24日(金)(オンライン公開)
お問い合わせ先
- 北海道大学電子科学研究所 准教授 佐藤 讓(さとうゆずる)
- TEL 011-706-2593
- FAX 011-706-2593
- メール ysato[at]es.hokudai.ac.jp / ysato[at]math.sci.hokudai.ac.jp
- URL https://www.math.sci.hokudai.ac.jp/~ysato/
- 九州大学大学院工学研究院航空宇宙工学部門 教授 坂東麻衣(ばんどうまい)
- TEL 092-802-3038
- FAX 092-802-3001
- メール mbando[at]aero.kyushu-u.ac.jp
配信元
- 北海道大学社会共創部広報課(〒060-0808 札幌市北区北8条西5丁目)
- TEL 011-706-2610
- FAX 011-706-2092
- メール jp-press[at]general.hokudai.ac.jp
- 九州大学広報課(〒819-0395 福岡市西区元岡744)
- TEL 092-802-2130
- FAX 092-802-2139
- メール koho[at]jimu.kyushu-u.ac.jp
【参考図】
【用語解説】
*1 三体問題 … 三つの物体が互いの万有引力により相互作用する運動の問題。
*2 ポアンカレの証明 … 円制限三体問題の解を単純な関数を足し上げて近似 (級数展開)していったとき、その級数展開は一様に収束しない、という数学的結果。
*3 カオス … 初期値鋭敏性を持つ不規則ダイナミクス。
*4 ヒル方程式 … 地球-月円制限三体問題の最小モデル。
*5 ローブ … 動力学の近点における切断面上で、周期軌道に常に近づいていく状態の集合(安定多様体)と、常に離れていく状態の集合(不安定多様体)に囲まれる領域。